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もうあまりE-P1について騒ぎたくない気分なのですが、田中希美男さんのブログに書かれていたことに反応。以下引用。
しかし、それらの新しい技術が発達する一方で失われていく技術というものが必ずある。それが無くなってしまってもいい分野ならかまわないが、そうではない事が多い。カメラで言えば、新しい技術は実在するレンズが作った像とは違った像を生成する妖術であるから、いわゆるバーチャルな技術であり、バーチャルであるということは本物ではないということである。
バーチャルというのは「本物を得るにはお金と時間がかかるから、それに近いまがい物を安く簡単に作る技術」である。なんと素晴らしい技術ではないかっ。何時の日にか本物と全く区別のつかないバーチャルが実現する事を望むのだが、いつまで経っても何らかの差はあり続けるに違いないのである(もし現実と区別がつかないものが実現出来たら、それを現実と呼べない理由が無い....哲学みたいになっちゃうな)。
バーチャルなモノで出来が良くないものに対する最大の不満は、
「ダイレクト感」
が欠如している事だと俺は思った。いじくった後の結果はそれなりに満足出来たとしても、操作する過程でベールが1枚も2枚も重なっている感じがすることが多い。まどろっこしくてキレが悪く、江戸っ子の職人のおじさんに「てやんでい、こんなトロトロしたまがいモノじゃ仕事になんねーぜ!」と一喝されそうな締まりのなさだ。
一見キビキビと動くとされる高級なデジタル一眼レフでさえ、単純なピンホールカメラにはダイレクト感であっさりと負ける。ダイレクト感とは、道具を1から10まで知り尽くし、道具から返ってくる反応に応じてさらにその道具のコントロールが出来るような状態と言おうか...。
そういう意味ではデジタルより、古いフィルムカメラ、それも大型のもの。実際にレンズによって得られた像がスクリーンに写り、それをフィルムに写し取るという実感を感じる中判や大判の方が優れているのは言うまでもない。
...で、何を書こうとしているのか自分でも分からなくなってしまった。
そうそう、そんなフィルムカメラなのだが。生成される画像に飽きたからデジタル捨ててフィルムに戻ると安易に考えてしまいがちだ(俺はその1人)。それだと遅かれ早かれまた飽きる日が来ることは間違いない...と自分に言い聞かせているのでR。
ケータイカメラであろうが、8x10だろうが、今そこにあるカメラでコーフンして撮れる何かを見つけるのが写真の旅. . . なのだろーか。
E-P1は、カメラ内でレンズの歪曲収差を(たぶん色収差も)補正する機能を備えている。この機能は常時ONで、OFFすることはできない。ライブビュー 状態の液晶画面でもすでに補正されているから、ほんらいのレンズの収差などの「実力」がわかりにくい。このことをナニも否定しているわけではない。それは それで、デジタルカメラならではの大きな特長の1つだ。でも、ほんらいのレンズの実力はどれほどのものかが「知りたい」のとはまたハナシは別だ。
というわけで、14〜42mmの歪曲収差がどれくらいあるのかチェックしてみたんだけど —— ある特殊な操作をすることで画像補正する前の状態をチェックできる —— でもこれは、E-P1ユーザーにはおすすめしません。見ない方が幸せにいられるでしょうから、その事前チェックの方法は言わないでおきましょう。オリンパスがマイクロフォーサーズではいわゆる「光学バカ」にならなかった事でまず一安心。光学的に収差の補正にこだわってレンズが大きくなってしまってはバカで、このマイクロフォーサーズという企画(規格ではない)においてデジタル画像補正は必須の技術であることは言うまでもなく、またデジタルカメラの歴史の中においてもすでに他のメーカーで実用化されている通り、デジタル補正というものは必然の技術であろー。
しかし、それらの新しい技術が発達する一方で失われていく技術というものが必ずある。それが無くなってしまってもいい分野ならかまわないが、そうではない事が多い。カメラで言えば、新しい技術は実在するレンズが作った像とは違った像を生成する妖術であるから、いわゆるバーチャルな技術であり、バーチャルであるということは本物ではないということである。
バーチャルというのは「本物を得るにはお金と時間がかかるから、それに近いまがい物を安く簡単に作る技術」である。なんと素晴らしい技術ではないかっ。何時の日にか本物と全く区別のつかないバーチャルが実現する事を望むのだが、いつまで経っても何らかの差はあり続けるに違いないのである(もし現実と区別がつかないものが実現出来たら、それを現実と呼べない理由が無い....哲学みたいになっちゃうな)。
バーチャルなモノで出来が良くないものに対する最大の不満は、
「ダイレクト感」
が欠如している事だと俺は思った。いじくった後の結果はそれなりに満足出来たとしても、操作する過程でベールが1枚も2枚も重なっている感じがすることが多い。まどろっこしくてキレが悪く、江戸っ子の職人のおじさんに「てやんでい、こんなトロトロしたまがいモノじゃ仕事になんねーぜ!」と一喝されそうな締まりのなさだ。
一見キビキビと動くとされる高級なデジタル一眼レフでさえ、単純なピンホールカメラにはダイレクト感であっさりと負ける。ダイレクト感とは、道具を1から10まで知り尽くし、道具から返ってくる反応に応じてさらにその道具のコントロールが出来るような状態と言おうか...。
そういう意味ではデジタルより、古いフィルムカメラ、それも大型のもの。実際にレンズによって得られた像がスクリーンに写り、それをフィルムに写し取るという実感を感じる中判や大判の方が優れているのは言うまでもない。
...で、何を書こうとしているのか自分でも分からなくなってしまった。
そうそう、そんなフィルムカメラなのだが。生成される画像に飽きたからデジタル捨ててフィルムに戻ると安易に考えてしまいがちだ(俺はその1人)。それだと遅かれ早かれまた飽きる日が来ることは間違いない...と自分に言い聞かせているのでR。
ケータイカメラであろうが、8x10だろうが、今そこにあるカメラでコーフンして撮れる何かを見つけるのが写真の旅. . . なのだろーか。




「このマイクロフォーサーズという企画(規格ではない)においてデジタル画像補正は必須の技術であることは言うまでもなく、またデジタルカメラの歴史の中においてもすでに他のメーカーで実用化されている通り、デジタル補正というものは必然の技術であろー。」
痛くいたく同感です。
でもダイレクト感というのも大切ですね。中判以上じゃ無いと駄目なのでしょうか。
今日、台場をうろついてG9なんかで撮っていて、ああ、ポケットに小さな薄い高画質機が有ったらいいなと思いました。そうなると今の所デジペンで、使えるかもと言う予感です。
DPて話は無しにして、取りあえずペンかなと。
う~ん、深い。
何が深いのかよくわからないけれど深い。
デジタルカメラ出現以降、猫も杓子も画質画質と
血相を変えて騒ぎ立てる(^◇^;)
ぼくは、こんな小さなカメラをひっそり抱えて生きていきたいと思います。
sa55zさん、わたしかなり適当なことを毎度書いてます。
カメラのレスポンスが早くキビキビ動くカメラ、そしてレンズが画像撮像面上に画像を投影したことを意識できるカメラ...という2つの条件を<ダイレクト感>という言葉を使って表してみました。
機械のカメラであればタイムラグはほとんどなく、またなるべくフォーマットの大きいカメラの方がイメージを平面上に投影したところにフィルム(撮像素子)を置いて撮影するんだぞー...というイメージを掴みやすいから、撮像面のサイズは中判以上と書いてみたのです。
端的に言えば、カメラを構えてファインダーをのぞいたとき、画像が逆さまになって磨りガラス面に写り、「おお、○○レンズが俺のために像を結んでくれているじゃないかー...」という感覚を味わえるカメラがダイレクト感満点なんじゃないかなぁと思ったのです。
ややもすれば35mm一眼レフなどは、像の写った磨りガラスを直接は見ないので、ブラックボックス的に写真が撮れてしまう感覚がダイレクト感の欠如なのです。
酸いも甘いも噛み分けたsa55zさんなら、ポケットに入る高画素機を望むのも分かります!
その一方で、未来を担う若者が、何も知らずに<文明の野蛮人>
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/weblog_eye103/details.php?blog_id=698
になることは避けなければいけないとおもうのですっ。
monopodさん、ありがとうございます。
結局最終的にはカメラは無関係。何をどう撮るかに尽きる...ですね。
それだけでは持たないとき、カメラやレンズや印画紙や現像方法にまで話を広げるのではないでしょうか。
手法に逃げてはいけない...最近そんな声が聞こえてきはじめました。
>生成される画像に飽きたからデジタル捨ててフィルムに戻ると安易に考えてしまいがちだ
興味深く読ませて頂きました。
なぜフィルムなのか、人によって、色々意見があるでしょうが、僕はハリウッドの映画に未だにフィルムカメラが使われることに注目しています。
(もちろんCGや編集でコンピューターが駆使されますので最近はそれほど単純にフィルム一辺倒ではないでしょうが。)
そしてDVで撮られた最近のTVドラマの白々しさ。
役者が下手なのもあるでしょうが、あの映像の生々しさが、観客がドラマの世界に没入するのを妨げているのではないかと。
フィルムは『リアリティ』とある種の『抽象化』のバランスが絶妙なんじゃないか思います。
しかしながら、利便性という他に、このデジタルの画像に自分の目が慣れてきていて受け入れ始めていること、そのことにちょっと不安を覚えたりします。
ダイレクト感・・・その言葉を聞いて、自分の中ですっと腑に落ちました。
私の場合、やはりM3はダイレクト感のかたまりに感じます。そこから得られる感触が本当に素晴らしい。
フィルムかデジタルかよりも、こちらの方が私には大事です。
NeoNさん、こんばんは。
>フィルムかデジタルかよりも、こちらの方が私には大事です。
確かに。そちらに本質があるかと思います。ゼラチンシルバーが発明される前は、ダゲレオタイプ等の古典手法だったわけで、それに比べれば今のフィルムだって当時は新しく怪しいものだったのかもしれないですから。
全ての道具は、自分の指の延長となるべきだと思うのであります(^^;)
ガットさん、こんばんは。
言葉でうまく表せないのですが、フィルム独特の画像というのが間違いなくあって、それがいきなり破綻のないデジタルの画像に置き換わってしまうと違和感があるというのは良くわかります。
映画のことは分からないのですが、ハリウッドもデジタル化してるんんじゃないかと思ってました。撮影はほとんどデジタル化して、上映だけは劇場のハードウェアの関係でポジフィルムに落とさざるを得ないのかと思っております。いずれにせよ、最後にフィルムに落とせばフィルムの画質が支配的になると思いますが。
ちょっと調べてみますとDLPという類いの上映館や将来的はレーザープロジェクタの登場等で、映画もデジタルになるのは時間の問題だと思われます。どハデで鮮烈な映像にはデジタルの破綻の無い絵がピッタリでしょうが、しっとりと質感の必要な映画ではフィルムの画質がまた切望される気がします。まぁデジタルならそれをシミュレート出来てしまうのかもしれませんがっ。
映画界のデジタル化は猛烈に進んでいます。
フィルムが複製を作るのにコストと時間がかかるとのこと。あと1〜2年でフィルム館はなくなっていくのではとも言われています。
ところで、最近のハリウッド映画が不発続きなのは、デジタル合成の小手先映像のせいではないかと思っています。久しぶりに市川崑の映画を見たら、あまりのライティングの美しさ、フィルムの美しさに驚きました。川端康成の文体の美しさに通じる、日本的な美を感じました。
NeoNさん、なるほど。
私は映画をほとんど見ないのですが、実写が少なくなって、なんでもCGでやってしまった結果、みんな同じような表現になってしまう感があるのではと思ってます。
市川崑も見てみたいです。