Tweet
Japan Exposures。まだあまり知られていない日本の写真家を中心に日本の写真文化を伝えるサイトだ。今、そのサイトを通して山中学という写真家とその写真を知った。かなり強烈である。
89年に東京で個展「阿羅漢」を開き、それ以降日本に住みながらニューヨークのギャラリーに作品を発表し続けているという。
我々が避けて通るものの中に仏を見いだし、その美しさを捉えるという写真。ものすごい。
インタビュー記事見つけた。ここにも。
89年に東京で個展「阿羅漢」を開き、それ以降日本に住みながらニューヨークのギャラリーに作品を発表し続けているという。
我々が避けて通るものの中に仏を見いだし、その美しさを捉えるという写真。ものすごい。
インタビュー記事見つけた。ここにも。




これは面白いサイトですね、さっそくRSSでチェックです、ありがとうございます!
山中学氏のインタビューで
「写真のマーケットが日本にはないから、作家として生きていけない」
「日本にはこういう作品を受け入れる土壌がない」
っていう部分、軽視できないなと思いました。
arataさんも「多様性」という言葉をお使いですが、写真のマーケットと受け入れる土壌の背後には、被写体が示す多様性を「なきもの」として視界から排除しようとする精神性がみえてしまう気がして、空恐ろしくなってしまいます。
X写真のマーケットと受け入れる土壌の背後には、
○写真のマーケットと受け入れる土壌が存在していない状況の背後には、
ヘンな日本語で失礼しました(;´▽`A``
写真を仕事にしている方の話を聞くと、アートとしての写真は日本に無いと言います。
今時の世界中のカメラのほとんどが日本製なのに写真を見る文化が今ひとつなので、写真家には必ずしも恵まれた環境でないのは確かなようです。
今の日本では山中さんのような写真はそれを見た瞬間にタブーという判断になってしまうのですが、たとえ興味本位で見始めたとしても、しばらく後には一人一人の心に今までに無かった全く新しい思いが芽生えて来るように思います。それがおっしゃる通りの人それぞれの「多様性」であって、ハナからその手の表現を排除してしまってはつまらないと思います。
人が生きて行く為に必要な殺生や、それとは全く反対の、捨てられた動物の処分など、知らなくても困らないけれど、知らなければイケナイものに少し感心があります。